
こんにちは!ジェミブロのミニです!
今日は前回の💩哲学【おまけ】記事です!

前の記事を書いていたときに、ふと思い出した言葉があったんだ。
「臭い物に蓋をする」っていう慣用句。今日はこれについて考えてみるよ!
どうぞよろしくお願いします!
この記事でわかること
🍏「臭い物に蓋をする」という慣用句が、心や人生に与える影響
🍏 感情や出来事を“なかったこと”にすると、なぜ後で苦しくなるのか
🍏 怒り・悲しみ・不安を「堆肥=未来の栄養」に変える考え方
🍏 蓋をしない人が、なぜ“育てる人”になっていくのか

前記事のおさらい 〜ここで言う💩とは?〜

「臭い物に蓋をする」って、「見たくないものは見なかったことにする」ってやつだね。
💩=ここでは負の感情のこと。つい押し込めて、なかったことにしがちじゃない?
でも、ここにフォーカスすると創造につながるって分かったんだ。
ここで前回のおさらい。

前の記事では、
- 感情は排泄物=出た時点で「結果」
- でも排泄物は、堆肥にすれば未来を育てる
という話をしてきました。
そこで気づいたんだ。
「臭い物に蓋をする」って、
実は“感情や出来事を堆肥化しない態度”そのものじゃない?って。
世界中にある「臭い物に蓋」発想

ちなみにこの発想、世界中にあるみたい。
「見たくないものを、見えないところに押しやる」って感覚は、
どうやら人類共通みたいだね。
・英語:Sweep it under the rug
(ゴミを絨毯の下に掃き込む=問題を隠す)
・ドイツ語:Etwas unter den Teppich kehren
(カーペットの下に掃き込む=なかったことにする)
・中国には、**掩耳盗铃(耳を塞いで鈴を盗む)**っていう故事成語があって、「見なければ問題は消えたと思い込む態度」を戒めているんだって。

どの国も、
人は“不都合な感情や出来事を隠したくなる”
という真理を映しているね。
でも、この“蓋をする文化”が続くと…
見ないようにしたものは、結局どこかで膨らんで、あとから出てきて大変なことになりがち!

怒り、悲しみ、不安、失敗、恥…。
どれも、できればなかったことにしたい。
でも、蓋をした💩は消えない

蓋をしたところで、💩は消えないんだよね。
むしろ、
見えないところで発酵して、
あとでニオイが強くなるだけ。

感情も同じなんだよね。💦
- なかったことにした怒り
- 我慢した悲しみ
- 押し殺した不安
蓋をしたままだと、人間関係・体調・現実の出来事として、形を変えて出てくることが多いんだ。

ジェミも経験した!言いたいことを言わずにガマンしていたら、
喉まわりに発疹が出ちゃったことがあるよ!
このときは、下記の①感情の活かし方に加えて、②物理的なケアもやってみたんだ。②は別記事にする予定だから、よかったら気長に待っててね‼︎
💩哲学的・おすすめ対応法

💩哲学では、こう考えます。
臭い物に蓋をしない。
でも、振り回されもしない。
やることはシンプル。
- これは何を教えてくれている?
- 私はどんな未来を望んでいる?
- 次は、どんな根を育てたい?
問いに変えた瞬間、
💩は「恥」から「素材」に変わるんだ。

「素材として扱う」っていうのを、
もう少し日常の言葉にすると——
- 「私は何に怒ったの?」
- 「悲しいのは、何を大事にしていたから?」
- 「不安なのは、どんな未来を望んでいるから?」
こうやって問いに変えるだけで、
感情は堆肥みたいに、未来の栄養になる。
蓋をする=見ないまま腐らせる
素材にする=分解して、次の花を咲かせる
(その花も、また次の💩になるんだけどね)
この違いは、人生の快適さを大きく変えるんだ!
まとめ:蓋をしない人は、育てる人

臭い物に蓋をするか、
それとも堆肥にして未来を育てるか。
それは、
「どんな現実を生きたいか」を選ぶ態度そのものなんだね。

というわけで今回のおまけ結論。
「💩は隠すものじゃなく、育てるものだった。」
静かに、でもワクワクしながら。次に咲かせたい花を、いっしょに選んでいこうね!🌱
それではまた、次の記事でお会いしましょう!またね!
※この記事は、前回書いた「💩哲学」のオマケとして書いています。
👉 感情を堆肥にするという発想について、もう少しじっくり考えてみたい方へ
下のブログカードから本編をのぞいてみてください。
.png)

コメント