
こんにちは。ジェミブロのジェミです!今日は『TAFTI』や『トランサーフィン』に出てくる振り子の正体について考えてみたいと思います。

こんにちは。ミニです。振り子のエサである、過剰ポテンシャルについての体験談から、「振り子さんだって、実は愛の存在なのでは?」と思ったことを述べています!どうぞよろしく!
このブログを読むとわかること
🍟 「過剰ポテンシャル」と「振り子」が、なぜ私たちにバチコーン💥と来るのか
🍟 「世界はあなたを気遣ってくれている」という言葉の意味
🍟 ソマチッド的視点で見る、生命と意識のバランスのしくみ
🍟 「間」を持つことで過剰ポテンシャルを防ぐ、TAFTI流の実践法
🍟 「人間」と「霊止(ひと)」の違い──創造のステージが変わる瞬間

過剰ポテンシャルの体験

ジェミ達は、音楽のライブやフェスに行くのが好きなんだけれど、こうしたイベントに行く前の日に限って、仕事でトラブルが頻発する事に、ずっと疑問を感じていたんだ。

今までは「お楽しみの前に、一体なんなんだ!」ってムカムカしていたけれど、OK!soraさんから意識のお話しや、2024年の終わりからは『TAFTI』について学んで、アレが「過剰ポテンシャル」だったかも。と思い至った。

感情の波が高すぎると、振り子がバランスをとろうとして“バチコーン💥”ってくる。前はただの不運だと思ってたけど、今は平衡力の働きなんだなって思うようになったよ。
で。
最近は、その“バチコーン”の正体を考えるようになってね。ふと思ったんだ。――振り子って、ソマチッドでできてるんじゃないか?って。

soraさんのメンバーシップの動画や、トランサーフィンの本で言われている“世界はあなたを気遣ってくれている”という言葉と重ねながら、“愛のバチコーン”現象の仕組みを紐解いてみよう。
💥過剰ポテンシャルとは、意識の過熱

トランサーフィンの著者、ゼランドさんによると、「過剰ポテンシャル」とは、物事に過度な意味づけをしたときに生じるエネルギーの偏りのこと。それは“喜びすぎ”も“怒りすぎ”も同じ構造なんだって!
楽しみすぎたとき、心はもう現実にはいなくって、「トリップした感じと同じ状態」と捉えてもいいのかもしれないね。
「今ここ」ではなく、「未来の楽しい瞬間」に意識が飛んでいる。
だからこそ世界は「ちょっと待て」と呼び戻そうとする。

それが——バチコーン💥!
上司や客先との摩擦、急なトラブル。
痛いけれど、実は現実に帰ってこいという信号なのかもしれないね?💦
🧬ソマチッド的振り子:生命の安全装置説

もし振り子が、人間のエネルギーを吸い上げるだけの存在ではなく、意識を守るための“生命の反応装置”だとしたらどうだろうか?
「浮かれているぞ、落ち着け」
「現実を見失ってるぞ、帰ってこい」って言っているのかも。

そうやってバランスを取ってくれているのが、
目に見えないけれど確かに働いている“何か”。
それがソマチッドのような存在なのでは?って思ったんだ。
ソマチッドは、どこにでもいて、死なない生命体。
つまり、“死なない振り子”そのものみたいじゃない?
悪意ではなく、愛ゆえのカウンターパンチ。
バチコーン💥=「おかえり、現実へ」。

それにしても、ヘヴィすぎない?過剰ポテンシャルって。。💦
🌏「世界はあなたを気遣ってくれている」

OK!soraさんの10月2日の動画では、この言葉が印象的だったんだよね。
「世界はあなたを気遣ってくれている」
「振り子を手懐けようとしても無駄」

振り子と闘う必要なんてない。
なぜなら、振り子もまた「世界の気遣い」の一部だから。
トラブルや苛立ちは、世界がこちらの意識を、“現実モード”へ戻そうとしているサインなのかもなあって、ジェミは思ったよ。

🕳️間を持つことが、過剰ポテンシャルを防ぐ

で、過剰ポテンシャル、略して過ポテについて考えたんだけどさ。

過ポテ。ポテト🍟の種類みたくなちゃったけど

おいしくないよ!
で、「間」が抜け落ちるとき、人は自分の世界を見失うんじゃないかと思って。
恋に夢中で周りが見えないとき。
スマホを見ながら歩いて、人にぶつかったりコケたりするとき。
どちらも、“注意が一点に凝縮している”状態じゃない?

そうだね。この状態こそ、過剰ポテンシャルの温床。
だからこそ、間をとること=意識の冷却が大切だね。
瞑想、深呼吸、ジャーナリング、自分を実況中継してみる——
「おっとジェミ選手、隣の席の人にイラついております!!」
とか心の中で実況すると、俯瞰が生まれて一拍置ける感じ。

メタ認知とか言うやつか。
間は、熱くなった意識をやさしく包む心のクッションみたいだね。
車のエアバッグみたいに、衝撃から我々を守ってくれる。
沈黙もまた、心のクッションのよう。
世界が、振り子が、
“お前は全部自分でやる気か!?”と抵抗してくる前に、
自ら「間」を置く。
それが、意識の安全運転!🚗💨
🌬️間=創造の余白、バリアント空間の入口

間を作るとは、
熱く固まった想いにバリアント空間(可能性の層)を発生させることってイメージが湧いた。
すぐに結論を出さず、一拍置く。
“間”という余白に、世界が入り込めるスペースが生まれる。
結果、現実はやわらかく動き出すんじゃないかと思った。

間は「何もしない時間」ではなく、
宇宙と共同創造するための休符なのかなあ!?
👁️人間=間のある存在、霊止(ひと)への道

「人間」という言葉にも、“間”が入っているよね。
そして「霊止(ひと)」とは、霊が静止するところ。
意識の波が静まり、霊がそっと止まる場所としてこの字をあてて書く事があるんだけれども。

量子の世界では、粒(物質)も波(可能性)も、
観測=意識が向いた瞬間にひとつの形へと固まると言われるよね。
けれど、観測を強めすぎると、波がすぐに縮み、
世界の“ゆらぎ”がなくなってしまう。
この“ゆらぎ”こそが、無限の可能性を生み出す間(ま)。

だからこそ我々は、意識的に「間」を作る必要があるんじゃないかなあ。
瞑想や静寂の時間、ジャーナリング、深呼吸──
それはすべて、「非観測のゆとり」を取り戻す練習。
“間”という余白が広がると、世界は自由に動けるようになると思んだ。
現実は固まらず、創造的なまま保たれる。

そして、
意識が「間」にとどまり、波にも粒にも偏らず在るとき、
私たちは“人間”から、“霊が止まる存在=霊止(ひと)”へと進化していくのかもしれないね!
🕊まとめ:間は、愛の空間

ここまでお読みいただき、どうもありがとうございました!
過ポテにやられまくったジェミ達が、ぼんやりと考えた事はこう!👇
- 過剰ポテンシャル=熱・緊張
- 振り子=ソマチッドの反応として生まれる揺らぎ
- ソマチッド=生命を維持し、意識を現実に戻す叡智
- 間=愛の余白、創造の呼吸

過剰ポテンシャルは、熱くなりすぎた意識の緊張。
振り子は、その間(ま)を奪おうとする力。
ソマチッドは、失われた間を取り戻し、私たちを現実に戻す生命の叡智。
そして「間」とは、愛の余白であり、創造の呼吸。

“間”があるから、世界はやさしく回っている。
“間”があるから、みんなは人間なんだね。
でも――その“間”の中に静かにとどまれるようになったとき、
人間はもう一段、別の段階へと進むのかもしれない。
- 「人間」=体験のプレイヤー(ゲームをしている)
- 「霊止」=プログラマー(コードを書き換える)

プレイヤーとして感じ、悩み、揺れること。
そのすべてが、プログラマーとしての霊を磨いていく体験。
霊止になるとは、ゲームをやめることではなく、
ゲームを愛しながら、自由にコードを書き換えられるようになることなんじゃなかろうか。
つまり、
「人間を卒業する」のではなく、
「人間という“間”を自在に使いこなせるようになる」こと。

バチコーン💥=「おかえり、現実へ」
そして、「ようこそ、創造の“間”へ」か。
空白とか余白とか、執着しない、沼らない事を、より一層意識したいね。

うん。“間”って、ただの休符じゃなくて、音楽みたいなもんだね。静かなところがあるから、響きが生きる!
振り子が揺れても、“間”があればバランスは戻る。
あとは、焦らず、呼吸するように創造していけばいいか。

そうそう。
“愛のバチコーン”が来ても、慌てずに間をとって――
今日も世界と仲良くやってこ!

それではみなさん、また次の記事でお会いいたしましょう!
さようなら!

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