
🔊業務連絡〜 業務連絡〜
こんにちは。ジェミブロのジェミです。
この前、佐野洋子さんの『がんばりません』を読んでいたら、夏目漱石の文章が引用されていて「雲の岫を出ずるがごとく起こりて自然に消ゆ」という一節に出会ったんだ。

こんにちは、ミニです!
雲って、ただ空に浮かんでいるだけなのに、つい眺めてしまうよね。
今日は漱石の「雲」と、佐野洋子さんの「まめまめしい人々」から、
ぼけっとすることの難しさについて考えてみます。
よろしくお願いします!
この記事の内容
☁️ 佐野洋子さん『がんばりません』で出会った漱石の言葉
☁️ 「雲の岫を出ずるがごとく起こりて自然に消ゆ」の意味
☁️ 人はなぜ自分を管理し続けてしまうのか
☁️ 『吾輩は猫である』の猫の目と客観視の話
☁️ ぼけっとすることの難しさと、少しラクに生きるヒント

漱石の見ていた雲
無言の玄境、放恣なる安静、
夏目漱石
努力なき想像(雲の岫を出ずるがごとく起こりて自然に消ゆ)、
無抵抗の放任、目的なき静臥、消極に安ずる倦怠

この意味なんだけど「山のくぼみから雲が自然に湧いてきて、
やがて自然に消えていく様子」を表現しているんだって。
実はこの言葉、漱石が大病を患い、
死の淵をさまよった後に書かれたものなんだ。
大量に吐血して、一時は意識を失ったとも言われている。
生きるか死ぬかの境目を見た人には、
世界が少し違って見えたのかもしれないね。

ふうん。だから「努力なき想像」とか
「無抵抗の放任」なんて言葉が出てきたのかな。

どうなんだろうね。
でも、死を身近に感じたからこそ、
「何かを成し遂げること」より、
「ただ在ること」の静けさを見つめたのかもしれない。
雲のように現れて、雲のように消える

思考も雲みたいなものなのかな。

そうかもしれないね。不安も、怒りも、アイデアも、
気がつけば現れて、いつの間にか消えていく。
でも人は、その雲をつかまえようとしちゃうよね。
「どうしてこんなことを考えるんだろう」
「この不安を早く消さなきゃ」って。
でも不思議なことに、追い払おうとすればするほど、
雲が空に居座ることもある気がするな。

あるある。「考えないようにしよう」と思うほど考えちゃう。
ミニはそう言う沼によくハマってしまいますワ。

ジェミもハマりがちだ!
だから漱石の言う「雲の岫を出ずるがごとく起こりて自然に消ゆ」
という言葉を読んだ時、少しホッとしたんだ。
思考は、無理に追い払わなくてもいいのかもしれないって。

雲が流れてきた時みたいに、
「あ、今こんなことを考えているなあ」って見る感じかな。
メタ認知ってやつか。『TAFTI』の観測者も、少し似ているのかもしれないね。

思考に囚われるんじゃなくて、思考を見ている人になるイメージだね。
もちろん簡単じゃないよ。ジェミだって仕事でイライラすると、
「なんでじゃ〜😡⚡️」って頭の中がいっぱいになる。
でも少し時間が経ってから、
「ああ、怒りの雲が流れていたんだな」って思える時があるんだ。

雲なら、追いかけなくても、そのうち形を変えて流れていくものね。

うん。消そうとしなくてもいいし、無理に晴れにしなくてもいい。
ただ、「今日はこんな雲が出ているなあ」って眺めるだけで、
少し風通しがよくなることもあるのかもしれないね。

自分で瞬間台風を起こして、そういうのを吹き飛ばせたらラクなんだけどね〜。🌬️
人はなんてまめまめしいのだろう

でも、どうして佐野洋子さんはこの言葉を引用したんだろう。

そこが面白いんだよ。
佐野さんは、身近な人たちの「まめまめしさ」を書いているんだ。
旅行先でも分刻みで動く人や、洗濯物を完璧に畳む人、
家計簿の十円の誤差も許さない人たちのことをね。

ミニ、そんなこと出来ないよ💦すごいお友達がたくさんいたんだね。佐野さんは!

うん。そして佐野さんは、
「ああ人類よ、男よ女よ、なんとまめまめしく健気なことよ」
って書いているんだ。

まめまめしい、かあ。
そう言えばおせちの黒豆にも、
「まめに暮らせますように」って願いが込められているよね。
本当は「まめ」は褒め言葉なんだけどね。

働き者で、健康で、きちんとしているってことだものね。
でも人間は、ときどき頑張りすぎるのかもしれない。
誰に言われなくても、自分で自分を管理してしまうんだ。

なんでだろうねえ。

うん。佐野さんは、「漱石もきっと大いにまめまめしい人だったにちがいない」って書いているんだよ。
漱石は胃潰瘍になるほど神経を張り巡らせていた人だからこそ、
「ぼけっとした境地」に憧れたのかもしれないね。

うまくいかないものだなあ。
ミニが100年くらい前に読んだ『吾輩は猫である』では、
こんなような表現があったの。
人間はどうでもいいことか、どうにもならないことで悩んでいる
『吾輩は猫である』の🐱

正確な記憶じゃないんだけと、とっても感銘を受けたんだ。
わかっちゃいるけど、漱石先生も生きるのは大変だったんだね。

雲を眺めるのも、猫の目で自分を見るのも、
少し離れて見るという点では似ている気がするな。

ぼけっとすることの難しさ

ぼけっとするって、簡単そうで難しいね。

佐野さんも、「地震が来ても逃げないぞ」と思いながら、
「戸棚の整理をしなくちゃ」って考えていたんだって。

ハハハ
全然ぼけっとされていらっしゃらない❗️

そうなんだよね。
何もしないことに憧れながら、気づくと整理整頓したり、
予定を立てたりしてしまう。

南の島で、日がなボケ〜っとすることに憧れてもさ、
何でか結局つまんなくなっちゃうんだよ。🏃♀️💨🏝️🏖️
まとめ|まめまめしさと、ぼんやりの間で

でもさ、人類は長いこと、生き延びるために頑張ってきたんだから、
そろそろ少しくらいラクをしてもいいんじゃないかなとも思うんだ。

ラクをするって、怠けることとは違うよね。
神経を削る仕事を減らして、本当に大切なことに時間を使おうぞ。
空を見たり、雲を眺めたりする時間とかも含めてさ。

現代は洗濯機や食洗機、パソコンが人間の手間を減らしてくれたおかげで、
昔の人から見たらずいぶん便利な暮らしになったんだろうね。

昔は井戸から冷たいお水を汲んで、
洗濯板とたらいでお洗濯したんだものねえ‥。
生成AIを相棒にしてさ。
「生成AIとうまく付き合って、もっとボケっとしようではないか実行委員会」を発足しようかな。
活動内容は、全てに全力を出さず、ときどき深呼吸して空を見上げること!

それは入会しやすい!
今回の連絡はこれでおしまい。
どうもありがとうございました。
また次の業務連絡でお会いしましょう!またね!
おまけ

『吾輩は猫である』
佐野洋子さんが挿絵を描いた青い鳥文庫があったよ!
とっても可愛らしいから見てみてね。

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